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70年代前半のフォークロアはヒッピーの影響からジプシー風、インド風が主流。 しかし、高度経済成長やオイルショックの狂乱を経験し、成長すること、前進することの価値観が問われる時代背景と、フォークロアの基本テーストである「自然回帰」「素朴さ」がファッションの基調を変化させていった。 最終的には、木綿を代表とする自然素材の素朴な風合い、小花模様など、農民風の素朴な柄、ちょうちん袖やギャザーの入ったロングスカートなど「赤毛のアン」「アルプスの少女ハイジ」をほうふつさせるロマンチックなスタイルにおさまった。 |
70年代半ばに神戸と横浜でニュートラが誕生した。 キーワードは「女らしい」「大人っぽく見える」。神戸ニュートラは、シャツブラウスにひざが隠れる丈のセミタイトスカート。 シャツブラウスは合繊素材のベルト模様、馬具柄の全面プリントを好み、スカートはゴールドのバックルでウエストをマークする。 アクセサリーやスカーフ、靴、特にバッグを重視し、セリーヌ、ルイ・ヴィトン、フェンディなど海外ブランドが望ましいとされた。 一方、横浜ニュートラは神戸よりゴージャス度は低かった。アイビーのスクールルックに近いシンプルなワンポイントロゴのポロシャツの着用が特徴。 後に「ハマトラ」と名を変え、オリジナリティを確立していった。 |
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この当時、アウトドアスポーツ衣料や米軍放出の丈夫なサバイバル衣料、雑貨を街で着ることをヘビーデューティと呼ぶようになっていた。 浮上したアイテムはマウンテンパーカ、ラガーシャツ、C・P・Oシャツ、ワークブーツなどで、後に一般化したアイテムが多い。この意味では、カジュアルファッションに大きな功績を残したと言える。 最も象徴的なアイテムはダウン。ピーク時には街中ダウンだらけで、一番オーソドックスな冬の防寒着として重宝された。 |
70年代後半〜80年代初めにかけてスポーツがファッションを支配した。 本来、スポーツをすることが中心なのだが、これをするスタイルが1人歩きし、ファッションとして自立していった。特に勢力を増したのがサーファーである。 典型的なスタイルはキャミソールやタンクトップ、フレンチスリーブのTシャツにショートパンツか綿のフレアパンツを合わせ、厚底でレインボーカラーの鼻緒のゴム草履。きれいに日焼けしていることが必須。 潮風にさらさらなびくイメージの「サーファーカット」が完成した。 |
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77年前後からティーンズを中心に流行したアメリカンフィフティーズのリバイバルファッション。 背中にロゴ刺繍の入ったボーリングシャツやスタジャン、ポニーテールにプリント柄のロングギャザースカート、足元は三つ折りソックスにサドルシューズやサンダルとかわいらしいスタイルであった。 懐かしいアメリカンフィフティーズスタイルはあこがれと共感を呼び、50年代風ファッションの流行を加速させた。 |
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